三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『チョコレート ドーナツ』~「あんたに興味はないよ」という女子の顔色~

「あの子の気持ちを、お前が勝手に決めるなよっ!」

 それは私がかなり長いこと好きだった女の子に対して、

「あの反応じゃ無理かもなー」とうじうじこぼした時につれからもらった言葉である。

 その言葉のおかげで勇気出して告白し、ついには付き合い今に至る。

  なんてことはもちろんなく、てんで相手にもされないまま、

 「ほらーやっぱ無理だったじゃん!!」とプンプンしたものだが、

 確かに相手の気持ちを勝手に決めるな、というのは一理あるように思う。相手がなにを思っているのかなんて、相手にしかわからないからだ。 そんなことをふと思い出したのにはもちろん理由がある。

 最近、会社の同僚とその女友達の何人かでお食事に出かけた。まぁ合コンのようなものだ。というか合コンだ。約4年ぶりの。

 緊張からくる吐き気をこらえながらコピペされた笑顔で立ち振る舞う私は、案の定真ん中の席になってしまい、左の会話にも右の会話にも上手く入れないまま、

“ななめ右上のポスターの文字を黙読しながら薄く微笑む”というかなり不毛な作業に貴重な時間を浪費していた。こんなことならリュックに入っている本が読みたいよー。

すると、業を煮やしたやさしい保母さんが話しかけてくれた。

 せっかく話しかけてくれたんだ、彼女が楽しいと思ってもらえるように頑張ろう。

 そう思い、これまで以上に薄く微笑み続けた。 

 しかし、彼女のやさしい質問にたいして「あー」とか「うー」しか言えない私にさすがの彼女もがっかりした表情を浮かべ別の会話に加わっていった。

 もしも相手がどう思っていのかが色として顔に出るとしたら、彼女の顔はどす黒い紫(あんたに興味はないよ)色になっていたことだろう。

と、書いては見たものの、まぁそれなりに楽しくはあった飲み会だったのだけれど、「あたし合コンでときめいたことないんだよねー」というとある女の子のけん制の一言をくらった私たちは誰のアドレスも聞かないまま解散した(ガチでアドレスを聞いた先輩は普通に断られた)

それで終わるはずだった。

 だが数日前、先輩から思わぬ電話がかかってきた。

 先輩「おはよう、この前の飲み会でいた保母さん覚えてる?」

 私「(あぁ、あの紫色の顔の女の子か)おぼえてますよ、どうしたんすか?」

 先輩「いや、実はあの子お前ともう一回ご飯食べに行きたいらしいよ、近々メールするって」

・・・・・・!?

 いや、確かにあのとき彼女の顔はどす黒い紫(あんたに興味ないよ)色になっていたはず。

 あぁ、そうか。

 これを「相手の気持ちをお前が決めんな」になるんだな。と一人納得した朝でした。

 もしも相手の好意が色として本当に顔に出るのだとしたら、どんな色としてでるのだろうか。

 と、思ったのが10日前。

 だが未だ連絡なし。

 ああ、なるほど、新手の嫌がらせね。と妙に納得する午前9時。部屋には映画『チョコレート ドーナツ』でアラン・カミングが歌う『I Shall Be Released』が流れている。

 あの映画に出てくる少年みたく、私はハッピーエンドが大好きだ、だが未だに連絡の来ない携帯を見る私の心は、チョコレートドーナッツのようにぽっかり穴が開いたようなのだった。

『I Shall Be Released』は本当に色んな人がカバーしたのを聞いてきたけれど、僕はアラン・カミングのカバーが一番好きなんだよな、と、バーのマスターの言葉をさも自分が考えたかのようにまんまパクる。

 

『チョコレート ドーナツ』2012年のアメリカ映画。1970年代にゲイのカップルが育児放棄された自閉症の少年を育てようとする話。

『I Sall Be Released』ボブ・ディラン作詞作曲