三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『僕は勉強ができない』〜愛情と可哀想、あと“水ごはん”〜

 シティで一人暮らしをするまでの半年間、実家で3歳の甥と暮らしていた。シティに越して5ヶ月になる。

 半年も一緒に暮らしていたので、私への甥からの愛はハンパない。

 だから今日、実家に帰省したら、たかしくん!と飛びついてきて、どこに行くにもドラクエみたく付いてくる。超愛されてる。

 で、夜。みんなでご飯を食べていたら、3歳の甥が「たかしくん、水ごはんたべないの?」と聞いてきた。

 水ごはん。それは、文字どおりごはんに水をぶっかけただけのものだ。

 一緒に暮らしていときに一度だけ、私はお茶を沸かすのが面倒で水ご飯を食べたことがあり、彼はそれを覚えていたのだ。

「水ごはんたべないよ」と言うと、「おにぎりたくさんあるから食べていいよ」と進めてくる。愛されてるぅー。

 それからお風呂に入って、1階で寝る甥におやすみを済ませ、2階で寝ようと思って階段に足をかけると、「たかしくん待って!」と甥が走ってきた。

 おやすみのキスだろうか?  と期待していると、「はいっ」と満面の笑みで何かを手に乗せてきた。ひんやり冷たい。なんだろう。

 手を開くと、一口大の氷がのせてあった。

 「たべていいよ」

 甥が天使のような笑顔で笑いかけてくる。

‥‥‥。思えば違和感はあった。「水ごはんたべないの?」「おにぎりたくさんあるから食べていいよ」そして「一口大の氷」。

 間違いない。私は甥にビンボーだと思われている。

 シティに住んで、ちゃんと自立している三十路(私)は、自分より30近く若い甥に、愛される以上に“可哀想”と思われていたのだ。

ーー他人に可哀想という言葉を使うとき、それを相手が望んでいるかを見極めなきゃ。大抵の場合、それは相手をくじけさせるーー

 と、小説『僕は勉強ができない』のなかで、主人公に恋人は語る。

 甥よ。私はくじけてはいないから安心してよい。ただ、甥に買う予定だった戦隊モノのおもちゃの値段設定を上げて、私が貧しく可哀想な思いをしていないことは知ってもらおう。明日買いに行くとするか。

 そして甥のなかにある“貧しい=可哀想”の図式を、できることなら時間をかけて解きほぐしていけたらな、と思う。まぁ、何を思うかは個人の自由だし、こうあって欲しいと人の考えを修正しようとするのは、私のエゴなのだろうけれど。たとえそれが甥であっても。

 ちなみに、最後の“貧しい=可哀想”からあとののくだりは、私が物事を深く考え、子供のことを想っていると、ブログを読んでくれている女の子に思ってもらうためのアピールである。

 よこしまな考えから無理やりひねり出したので、効果があるかは甚だ疑問だ。

 

『僕は勉強ができない』山田詠美/著