三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『こころ』~洒落た告白の仕方~

 I Love Youを夏目漱石が「月が綺麗ですね」と訳した、というのは大分有名になったので知っていてもモテない。

 正確には、まだ“愛”という言葉が日本に浸透してなかった頃に「我、汝を愛す」を訳した弟子に対し「日本人がそんなこというもんか、そこは君、『月が綺麗ですね』とでも書いておきなさい」と漱石は言ったらしい。でもこれ知っててももうモテない。

 ただ、二葉亭四迷がI Love Youを『私はもう死んでもいい』と訳したのはまだそこまで一般的ではないと思う。

 割とミーハーな男が「月が綺麗ですね」とイキって告白してきたら、「私はもう死んでもいい」と返すくだりは、まだギリ洒落ていると思う。ただ、もってあと2、3年だろう。洒落たセリフの浸透スピードはマジ早い。

 こじゃれた店で食事をしていた女の子と夏目漱石の『こころ』の話をしながら、そんなことを考えていたら、ふと10年も前の出来事を思い出した。

「そういえばさ」と僕。「そういえば18歳のころ女の子からこんな電話が掛かってきたことがあったんだよ」

 食事をしていた女の子が私を見る。

「友達と外でご飯食べてたら女の子から電話が来たんだ。ちょっといいなと思ってた子だったからすぐに電話を取ったらいきなり『たかし外見て』と言われてさ」

「うん」

「ガラス張りの店内だったから偶然外から僕を見つけたのかな、と思ったんだけどそうじゃないみたいで家にいるっていうんだ。でも『レストランからいったん外に出て』って言われてさ」

「それで?」

「うん、それで外に出たら空を見るように言われて、『見たよ』って言ったら『月が綺麗ですね』って言われたんだ」

「素敵じゃない」

「うん、ただね、それで僕がうひょーとなって『僕はもう死んでもいい』って返事したら『なにそれ?』って言われて。だから夏目漱石のI Love Youのくだりと二葉亭四迷のくだりを女の子に話したんだけど、彼女はそれを知らなかったんだ。彼女は純粋にただ月が綺麗だって思ったみたいなんだ。結局その子とは何もなくてさ……、本当に変わった子だったよ」

 と、ここまで話してみて、んなわけあるかい! と気づく。んな偶然あるかい。あれはどう考えても告白だったじゃろうがい。汲み取ってあげんかい。普通そんな電話してくるかい。

 私は10年前の「少年たかし」のアホさ加減に驚愕する。私がもう少し大人だったら、もしかしたらあの時あの子と付き合えたかもしれないのだ。 

 ――目の前で食事をしていた女の子が笑いながら「出ましょうか」と言ってくる。

 いかんいかん、10年も前の後悔より今はこのちょっといいな、と思っている女の子とどうやっていいムードになって部屋に行っておみだらに繋げるかが大事だ。

 店の外に出た女の子が空を見上げながら笑う。

「今日は曇っているわね」

 いやいや女の子よ、今日はかなり綺麗に月が見えているぞ。と言いかけて気づく。

 ああそうか、これが大人のしゃれた振り方なのか。しゃれとんなー。

 一人夜道を歩いて帰る。『こころ』の名セリフ「しかし君、恋は罪悪ですよ」という一文が今日はいやに胸に刺さる。

 

『こころ』夏目漱石/著 映画、ドラマ、アニメ、漫画化などたっくさんある