三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『女のいない男たち』~ドライブ・マイ・カー~

 国道を一台の車が走っている。2007年式の4WD。辺りはもうすっかり夜だ。男と女が乗っていた。女はクラシックに耳を傾けている。男は、男の顔面は蒼白で、冬だというのにびっしり汗をかいていた――私だ。私はとにかく焦っていた。

 女の子との食事の帰りだった。私はよこしまな気持ちから「もしよかったら帰りにちょっとドライブをしないか」と聞いてみた。車は動く密室、と女子から恐れられていることは文献で読んだ。かといって「うち来る?」と言うには、彼女から出る好意の情報量が少なすぎた。ドライブ(散歩)という選択権を与えることで「ごめん、このあと予定あるんだ」や「今日は電車で帰るね」など、お互いを気遣ったまま恋の確認作業ができると考えたのだ。

 女の子はニコニコしながら車に乗ってきた。ここまでは思惑どおり。しかし、エンジンをかけると車内から謎のクラシックが流れてきた。

 やってしまった、と思った。音楽とは、私はこのような人間だという一種の宣言だ。付き合ってしばらく経ってからの価値観の違いは受け入れられやすい。だが、まだ好意もあやふやなうちに価値観の違いが出るのはまずいのだ。

 いつもはちゃんとポップな曲をかけている。でもその日はどうしてもショパンの「木枯らしのエチュード」が聞きたくて、会う前に戻すのを忘れていた。なにより、この曲はかなり激しい曲なのだ。ムードすらない。

 私は正直に、「別の曲にするね」と申し出た。すると心優しい女の子は「ピアノやってたからクラシック詳しいよ」と言ってくれた。

 逆にやばい。私はクラシックを20曲しか知らない。映画や小説に出るのを聞く程度だ。震える手で曲を変える。今度はジャズが流れてきた。しっとりムードな方の。

 汗が止まらない。女の子は絶対、「こいつ今夜あたしを抱くつもりだわ」と疑っている。ジャズじゃあないだろう。なにをやっているんだ。

 車をいじり、やっとのことで普通の曲に変え安堵の息を漏らす。気を取り直して助手席を見る。彼女が不思議そうに天井を見ていた。空には満天の星空が広がっていた。――またやってしまった。

 車の天井は一面ガラスルーフなのだ。ガラスルーフとは窓が開かないサンルーフと思ってもらっていい。だが、私は絶対に女の子の前でガラスルーフにしない。

 だってガラスルーフの車に女の子をキメ顔で乗せる男は気持ち悪いもの!

 それはあくまで自分自身が楽しむためのものだった。ガラスルーフモードをオフにし忘れていた。……終わった。私は窓を開け、よこしまな気持ちを全て外に放り投げた。

 車は女子だけでなく男にとっても危険だ。なぜなら逃げ場がないから。

 男と女は全く違うことを考えながら、同じ方向へ向かう。彼女の実家に向かう。

 

『女のいない男たち』村上春樹/著 6つの短編集。第一話「ドライブ・マイ・カー」