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三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

勇敢すぎた男

 彼と出会ったのは10年以上前のことだ。17歳、私は高校3年生だった。部活動で顔は黒々と光り、ひげはまだ生えていなかった。

 その男は男子トイレにいた。正確にはトイレの鏡の中に。私が手を洗い、ふと鏡を見ると、喉仏の隣から一本の毛が生えていた。

 誰しも、「なぜこんなところに?」と謎の毛を発見することはあると思う。宝毛がその典型だ。人体を考えると、全てが正常に狂いなく役割を全うするほうが難しい。故にこんなバグが起こる。私は1センチほど伸びていた彼を「ピョロ毛」と名付け、その場で抜いた。

 ピョロ毛は変わった男だった。1週間ほど経って鏡を見ると、また同じところから生えていた。何度も何度も抜いたが、また生えてくる。私は、生えるべき場所を間違っていることに気づきもしない彼が滑稽ですらあった。多分、1年くらい追いかけっこをしていたと思う。

「多分」と表現したのには理由がある。そもそも彼にそれほど興味がなかったのだ。だからいつから気にしなくなったかすら覚えていない。

 再び彼を意識したのは27歳の時。私は社会人になっていた。

 出社前だった。私はいつものようにぬるま湯で顔を洗い、髭剃りジェルをつけた。何もかもいつも通りだった。だが、ふと頭をよぎるものがあった。「何かがおかしい」。何も変なところはないはずなのに違和感がある。

 注意深く鏡を観察していく。ワックスは付けた、目も鼻も口もいつもと変わらない。でも、何かがおかしい。いや、何かが足りない。

……「ピョロ毛」だ。

 急いで喉仏を見た。どこにもピョロ毛がいない。もうずっと、ピョロ毛を見ていない。一体いつから忘れていたのだろうと思い、もう一度鏡を見て、私は泣いた。

 ピョロ毛はいた。居たというか、喉の下までひげが生えていた。彼を忘れていたのではない。彼を忘れてしまうくらい、あごひげが領土を広げていたのだ。切なくて号泣した。

10年前、初めて出会った彼は、生える場所を間違えたマヌケではなかった。いつか領土を広げるその日まで、抜かれても抜かれても立ち上がる勇者だったのだ。

 私は思った。なんとハタ迷惑な勇者であろうか。もう彼は「ピョロ毛」ではない。あご下の国を統べる「髭の王」だ。

 最近、右のほほ骨近くにピョロっと毛が生えてきた。これから長い闘いが始まる事だろう。私は簡単に「右ほほ国」を明け渡すつもりはない。ないが、先陣を切る勇者を踏みにじることもしたくない。

 願わくば彼が、「髪の国」の領土を広げてくれること祈る。


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