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三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『論理哲学論考』〜一期一会について〜

 ホテルで働いているころ、言語学者で思想家でもあるノーム・チョムスキーの息子で、自身もマサチューセッチュ工科大学の教授であるおっさんと話す機会があった。

 とはいっても、その胡散臭いおっさんがそう言っただけで、本当のところはわからない ――彼は地毛が茶色であること、黒のコンタクトをしていること、チョムスキーとおぼしき老人と撮った写真があることをしきりにうったえてきたが、僕は今でも偽物ではないかと疑っている。 なぜなら彼のガウンの下からはおちんぽさんがのぞいてたのだ、そんな男を信用できる訳がない――。  

 それはさておき、おっさんとは意外にも話が合った。僕はパッヘルベルのカノンについて話し、彼はモーツァルトが『魔笛』を17才の若さで書き上げてしまった苦悩について語った。 そしてこう聞いてきた。

「君はヴィドゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んだことがあるか?」

 それはヴィドゲンシュタインが生前刊行した唯一の哲学書で、極度に凝縮されたそのスタイルと独創的な内容は、底知れぬ魅力と「危険」に満ちている。らしい本だった。  その本を読んだのは、こんな難しい本読んでる俺どうよ、というただのカッコつけだった。もちろん内容は理解できず、前半で諦め放置。

 でも僕はこう答えた。

「あるよ、なかなかに難しい本だったね」

 彼は言う。

「この本が言いたかったことは何だ?」

 僕は答えた。

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては人は沈黙せねばならない」 と、本文に書いてあることをそのまま。

しかし僕はその文を格好いいと思いこそすれ、意味は理解していなかった。

 すると彼はこう言った。

「それってつまり『カッコつけんな』ってことだな、この本の言いたいことはそれだ。わかんないことをわかったように振る舞うな、ということさ」

 目からウロコだった。 途端に、「蓋然性」とか「アレゴリー」とか、意味もよくわかっていないくせに使っていた自分が恥ずかしくなった。  

 それ以降、僕は変に気取った言い方をしなくなり、カッコつけで難しい本を読むのをやめた。  

 きっと彼はチョムスキーの息子ではなく、ただの変わったおっさんだったのだろう(おちんぽさん出てたし)。そして彼が言った本の内容が本当に正しかったのかもわからない。でもそんなことはどうでもよかった。 僕の中ではこれ以上ない“答え”だった。

 たった1時間足らずの邂逅だったけれど、彼は確かに僕の人生に足跡を残していった。

 おっさんはその後、無銭宿泊で警察を呼ばれかけていたが、僕はその場をすぐ離れたので、彼がどうなったのかは知らない。  

 以来、彼とは1度も会っていない。

 

論理哲学論考』  ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/著


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