三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『ポストモダンの条件』~真夏のストール事件~

 大学の後輩とデートをした。私は21歳で、後輩の女の子は18歳だった。

 明らかに私に好意を持ってくれていたその女の子から(私は“やや”イケメンだったので、髪型でいい感じに変身できたのだ)美術館に誘われたのだった。

 真夏の炎天下のなか、近所の県立美術館に行き、絵を見た。

 なんだかよくわからなかったけれど、同じ絵の前で15分くらい立ち止ってみたり、「ふむ」みたいな顔をしてみたり、あえて素通りしてみたりと、美術館にいそうな男っぽいことをした。

 絵のことは覚えていないが、額縁のことは覚えている。ひとつ、絵よりも存在感のある額縁があった。でもまぁ、どうでもいいことだった。これから女の子と恋仲になるために、額縁などどうでもいい。

 後輩も額縁には気が付いていたようで、美術館を出てからそのことに触れてきた。

「ひとつ、すごい額縁がありましたね」

「うん、すごかった」

 でも絵が主役なのに変な感じでしたね、と言ったあと、女の子はこう続けた。

「というか、その恰好、暑くないですか?」

――私はカッコつけた格好を意識しすぎて、真夏なのにハット(冬用)、謎のストール、革靴(暑そう)なものをチョイスしていた自分に気が付いた。

 卒業論文で読んでいた『ポストモダンの条件』の一説が頭をよぎる。

――それは絵ではなく額縁を褒めているようなものだ――

 私は外見ではなく、女の子が好感を持ってくれていた中身で勝負するべきだったのだ。

 額縁(外見)を重要視してしまったがために、後頭部は汗でぐちゃぐちゃだ。

 結局その日は、美術館だけで帰った。

 それからはたと連絡が途絶えて卒業3日前の土曜日のこと。おそらく半年ぶりにその後輩を含めた数人と遊んだ。飲み会が終わって帰ろうとすると、その後輩がひとり駆け寄ってきた。耳元で、

「先輩のことが好きでした」と言ってくれた。

 うん、とても嬉しい。それはとてもありがたいことだ。

 けど、彼女の好きが“過去形”になった瞬間は、やはりあの夏の日の、ハットとストールが原因なのだろうな、と思った。

 家に帰り、卒業前に処分するゴミ箱を見た。ハットとストールが入っている。

 あと3日で卒業か。

 明らかにその寂しさからではない涙が流れた。ストールを巻いていた恥ずかしさの度合いは、「涙」を「泪」と書いていた中2以来のビックウェーブだった。

 

ポストモダンの条件』ジャン=フランソワ・リオタール/著

『ニシノユキヒコの恋と冒険 その2』〜トイレの便座問題〜

 数人の男女が家に遊びに来た時のこと。

トイレに入ろうとドアを開けたら便座が上がっていた。

 やっぱりな、と思った。

 今日は私を含めて男2、女の子2人だったので先に入ったあいつだろう。

 次に入ったのが私じゃなく女の子だったらどうしてくれていたのだ。女の子はこの便座を上げた奴がおまえか私かまでは考えてくれないんだぞ。

 と、思った以上に確信したことがある。

 “トイレの便座を上げている男にはすべからず彼女がいる”。

 ホントか? と思ったあなた、ちょっとだけ待ってほしい。そりゃあ昨今の男女が付き合うと「便座を常におろしておく」方に変化する男がほとんどだ。

 だだ、なんと言えばいいか、私の経験上、トイレの便座を上げっぱなしにしてしまえる度量を持った男には彼女がいるのだ。

 それと、

 おなかが出ている男は結婚している。これも(少なくても私の周りでは)100パーセントだ。まぁ三十路というのもあるだろうけど。

 結婚して安心したからおなかが出たのか、おなかが出ても気にしないから結婚できたのか。それはこのさい問題ではない。

 問題は、常に便座を下げ、五体を鍛えている(おなかが出ていない)男は結婚できていないという事実だ。

 うまくいかないときは逆のことをすればいい、というのはセオリーだ。

 なら私は便座を上げ、おなかを出せばいいのか?  それはきっと違う。“度量”の話なのだ。

 ワイルド野郎の資質か、マイルド野郎の資質かの差なのだ。

 彼らが帰ったあと、私は仲のいい女の子に電話し一連の話をまくし立てた。

 女の子は、

「私はたかしくんみたいに便座を下げて、おなかが出てない人の方が絶対いいけどな。女子は大半そうだと思うよ」と言った。

 オーケー、サンキュー、ありがとう女の子。君は優しいし、心からそう思ってくれているのがわかるよ。ありがとう。本当に。

 でもさ、一つだけ言わせてくれ。

 君のだんな、便座上げてるしおなか出てるじゃないかっ!

 小説『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、ニシノユキヒコに恋をした10人の女性の視点で展開される物語だ。

 彼は絶対に便座は上げないだろうし、おそらくおなかも出ていない。しかも10人と恋に落ちるモテ男だ。

 ただ、案の定というべきか、やはり彼も結婚していないのだった。

 

『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美/著

『真昼なのに昏い部屋』~モテ仕草の宝庫、エスカレーター~

 エスカレーターでもモテ仕草がある。先日、モテる例と悪い例を同時に目撃した。

 2階から5階までのエスカレーターで、私の前に乗ったカップルがいた。女性が前で男が一段後ろ。セオリーだ。で、男がさりげなく左手で手すりに手を置いた。不測の事態(実用性はともかく)から守るよ、という気概のようだ。ここまでもまぁセオリーだ。

 男の真価はここからだった。男は体半分だけ右にずれたのだ。すると前に乗っている女性は必然的に右斜め後ろを向いて話すことになり、男の左手には気づかず(もしくは気づいても「気遣い素敵」となる)楽しくしゃべれる。しかも、男が右通路に立つわけじゃないから、通行人への気配りもできている。

 なにより、男が形式的に手すりを持ってモテようとしているのでないのが伝わってきた。自分の体重を支えるためでもなかった。男は、女性をとにかく大切に思っている。そんな手の置き方だった。

 私たちが4階から5階行きのエスカレーターに乗り換えた時、ちょうど3階から4階に到着する間際の別のカップルを目撃した。女の子が前で男が後ろ。

 しかしこの男、ど真ん中に立って、両手で手すりを持っている。男の後ろには2人いて、右側に立っている。ただ、あからさまに距離は詰めず、2,3段下にいるので、男は自分の非礼に気づいていないみたいだった。

 私はエスカレーターでこんなにも差が出るのかと驚いたと同時に、早速実践してみることにした。モテたいもん。

 3日後、女の子と映画に出かけた。商業施設の3階に映画館はある。3階ということは、チャンスは2回ある。なんとしてでもモテたい。

 先に女の子を乗らせるべく少し歩調を緩めたら、どういうわけか女の子も緩める。先に乗ってほしいのに、明らかに彼女は先に乗りたがらない。かといって「先乗れよ、俺が支えるからさ」と言うのは気持ちが悪い。

 謎の心理戦に負けた私が先に乗り、彼女が後から乗る。右側を数人が歩いて越していく。

 だがまだチャンスは1回ある。少し離れたエスカレーターまで歩く必要があったので好都合だ。しかし、また女の子が歩調を緩める。なぜだ、なぜ彼女は先に乗ろうとしない。自分の背後に立たれたくないのか?

 案の定、心理戦に負けた私が先に乗る。終わった、エスカレーターひとつでこんなに汗だくになるとは思わなかった。と感じていたら、女の子が一段上がり私のとなりにひょこっと乗って笑いかけてくる。

 かわいい。後ろをちらりと見ると、誰も乗っていないし、乗る気配もない。彼女はこれを狙っていたのか。モテ仕草ではあちらが数段上だったようだ。

『真昼なのに昏い部屋』という小説は、まさにエスカレーター乗るように何の疑問も抱かず誰かの敷いたレールで自動的に移動してきた女性が主人公だ。

 ホラーではなく、(おそらく)ラブストーリーなのだが、今まで読んだ本のなかで一番怖かった。最後の4行を読んで心の底から恐怖を覚えた。

 そして一番怖いのは、私にモテ仕草をしてきた女の子が、実は私に対して露ほどにも恋愛感情を抱いていないことなのだった。

 

『真昼なのに昏い部屋』江國香織/著