三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『僕が人形と眠るまで』〜30までに性欲ゼロ〜

 27歳のとき、30までに性欲をゼロにしたいと思った。その時期2度ほどトラブルに巻き込まれていて、巻き込まれるのは俺に性欲があるからだという謎の理屈からだった。

 しかし、性欲はそう簡単にはなくならない。私は人一倍女の子にモテたいのだ。そればっかり考えてしまう。

 そうこうしているうちに、29歳が4ヶ月過ぎた。私は焦った。あと8ヶ月で性欲をゼロにしなければならない。無理だ。女の子にモテたい。

 やばい、と思いながらテレビをつけると、たまたまラブドール特集が流れていた。

 瞬間、「これだ」と思った。性欲処理の道具じゃなくていい、ただそこにいるだけで得られる安心感を買おう、という逆に気持ち悪い発想に支配された。価格は60万。ギリ払える。

 次の日、私は仕事関係で仲良くしていたちかさんにそれを伝えた。

「ちかさん見つかりましたよ。性欲をゼロにする方法見つかりました」

「見つかったんですか! なんですか」

ラブドールです」

「は?」

ラブドールです。60万です。これで性欲ともおさらばです」

「ーーでもラブドールって体温ないですよ。多分けっこう冷たいですよ。私だったらいつでも添い寝してあげられるのに」

「マジですか! マジか、ラブドール冷たいのか。それはやだな。知らなかったら買うところだった」

 私はバカだ。大バカ者だ。ラブドールに気をとられていて、「私だったらいつでも添い寝してあげるられる」という言葉に気がつかなかった。ちかさんは冗談でもそういうことは言わない。

 そう、私は一瞬モテていたのだ。真剣になってもいいけれど、焦ると大切なことを見逃す。

ーーあれから半年。私は遠くの地で生活をしている。その体温のように、ラブドール熱はもう冷めている。

 昨日、夜中に目が覚めそのことを思い出した。私は冬の冷気にさらされながら、春の訪れを待つ。

 そうそう、人形といえば小説『ぽろぽろドール』だ。人間と(意思を持たない文字通りの)人形に関する短編集。最後の話の、おわりの2行が特に好きで、今でも時々読み返す。あとがきも好き。

 

『僕が人形と眠るまで』 短編集『ぽろぽろドール』の最終話   豊島ミホ/著

 

『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』

 学生時代のとある冬、朝目覚めるのとほぼ同時に、女友達からこんなメールがきたことがあった。
「今すぐ共同玄関のロビーに来てください、早く!」

 ねぼけまなこの僕がとぼとぼと共同玄関に行くと、 そこには何やら小さな箱と紙が置いてあった。紙には 「リツコちゃんと一緒に食べてね、ハッピーバレンタイン。うさぎのおじさん(54)より」と書いてあり、 僕はそこで初めて「ああそうか、今日はバレンタインだった」と気づくという神がかり的に贅沢な出来事を体験した。
 ちなみにリツコとは僕の母親の名前である。

 女友達に「ありがとう」的なメールを送ると、「何が?」的なメールが返ってきた。
どうやらあくまで“うさぎのおじさん(54)”の仕業にしたがっているようで、僕はここでつっこむのは野暮だと感じ、素直に彼女の粋な計らいに乗った。

 んでも、ほんの一瞬だけこうもおもった。
 これってあの子だからかわいく感じるが、もしこれを男がやってたらキモくないか。

 例えば僕が女友達に
「つとむくんにつけてもらってね。あいがものかあさん(39)より」という手紙と一緒になにやらブレスレット的なものを玄関前に置くとすると、これ絶対キモくないか?おそらく、いや、まちがいなく、きもい。

 どうやらこの世には女の子どもはゆるされて、男がしたらアウトなことが沢山あるらしい。一人映画<一人クレープ<<一人日傘といったぐあいにいっぱいあるらしい。

 月明かりの晩に、間接照明とジャズをお供にしながら一人夢想していた僕が、こんなことを思っていると、殆んど1年ぶりにその女の子からメールがきた。

「わたし、結婚します」

 どうやら彼女のもとには本物の“うさぎのおじさん(20代後半)”がやってきてくれたようだ。幸せになってほしいものです。

『花吹雪』~雨上がりのアスファルトが嫌いになりそうなエロティックな香り~

 4階から降りるエレベーターの中で、ひたすら女性に胸を押し当てられていた。

 背中にぐいっとめりこんでいる。饅頭だったら割れているレベルだ。

 彼女はそれまで合コンで一緒だったメンバーの一人だった。普通なら喜ぶべき場面かもしれない、だがそれどころではない。お腹が痛くてたまらないのだ。私は香水の臭いを嗅ぐとお腹が痛くなる。そしてエレベーターの中は女性の香水の臭いで満ちていた。

 真夏の雨上がりにアスファルトから立ち込めるような密度の濃い空気がエレベーターに充満している。そこにタバコとアルコールの臭いが加わる。自己主張の強いそれらは譲り合うことなく、個別にしっかり鼻の中に入ってくる。乳どころではない。

 腕をつねりながら考える。彼女はおそらく私を憎からず思ってくれているのだろう。スカスカのエレベーターのなかで胸を当てるほうが難しい。

 チャンスではある。しかし、お腹が痛くてたまらない。最短距離を最速で帰ってなお、トイレに間に合うかわからない。

 こめかみの汗が顎まで下りてきたのを合図に、エレベーターがそのドアを開く。私はエレベーターからすべり出る。香水の臭いが夜空に飛散し、冬特有の冷たい空気が鼻孔に入る。しかしいったん痛くなったお腹はもう元には戻らない。

 アドレスを聞いてくれた彼女に「別の人から聞いてて」と言って走り出す。

「メールするね」と言う声が聞こえたが、それに答えたかは覚えていない。

 家に帰り、窮地を脱した私は服の袖で鼻をかく。かすかに甘くいい香りがする。思えば合コンの最中からお腹が痛かった。彼女の香水が原因ではないのかもしれない。それに、おざなりな対応をしてしまった私に、彼女は「連絡する」と言ってくれた。なにかが始まる予感がする。

 連絡が待ち遠しく、その日はなかなか寝付けなかった。

  ――あれから2週間。彼女からの連絡は一度もない。

洗濯した洋服からは香水の匂いは消えている。ただ、恋の香りもしない。

 

『花吹雪』 THE YELLOW MONKEY