三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

【おすすめ映画⑥】蠱惑的な彼女

「蠱惑的」という言葉に出会った。

 丁寧にルビがふってあったので、それが「こわくてき」と読むことを知り、続いて辞書で意味を調べると「人の心をひきつけ、惑わすさま」という意味だと知った。

 瞬間、辞書の前で私の全身がビリビリっといった。なんと素敵な言葉だろうか。

 それはかつて「静けさが、溢れる」という意味の「静謐」という言葉を知った時以来の 衝撃で、私は、「蠱惑的な男こそ、私が目指すべきものだ」と勝手に誓った。

 しかし私は生粋のマイルド野郎。毎日職場に手作り弁当作って無駄に好感度を上げてしまう始末。やはり私みたいな誠実なだけの男に蠱惑的は無理か、と思い、しかしまてよ、と思いかえす。

 そういえば学生時代、わたしは「ちゅっぱちゃぷすの男」と呼ばれたいがために毎日ちゅっぱちゃぷすばかり食べていたのだが、その話を女の子にしたときに、「なんて変態なの。素敵~」と本気で好意を持たれたことがある。

 あるいは、大学1回生の頃、お菓子の「アポロ」にはまっていた私はよく、授業中にアポロを机の上に置きうっとり眺めていたのだが、後に「あのときアポロ置いてるところが変態的で素敵だったわよ」という謎のお褒めの言葉をいたいたことがある。

 いける。私、蠱惑的いけるっ。

 次の日から私は蠱惑的な男になる準備に取り掛かった。もう弁当男子は卒業である。私はもうあんぱんしか食べない。あんぱんしか食べず、「あの人なんて無意味にストイックなの!すてき~」と言わせてみせるのだ。

 その日以来、私は職場にあんぱんしか持っていかなくなった。

 そして案の定「減量?」とか「なぜにあんぱん?」という、人をひきつけ惑わすことに成功し、大いに満足した。しかし6日目の昼、私は直属の上司に、「食の貧しさは心の貧しさだぞ」と菩薩のような表情で諭され、完全に惑わし方を間違ったことを知った。

 あんぱん生活7日目の朝、私は弁当を作って職場にいった。お昼になり、弁当を食べた私は、そのおいしさに、特にベーコンとマヨネーズの卵焼きのおいしさに感動して、あやうく泣きそうになった。そしてあんぱんしか食べてこなかった自分自身を恥じた。

 ガラにもない蠱惑的男子になるのもいいけど、僕には弁当男子があってます。そうですよね、さとる先輩。

 そう、私が仲のいい先輩に話しかけようとすると、いつもゲームの話しかしない先輩がものすごく真剣な顔で指にテーピングを張っている。

 私は女性同僚に聞いてみる。

「さとるさん指どうしたんですかね?」

「昨日試合で怪我したらしいよ」

「ん? 何の試合ですか」

総合格闘技。アメリカ陸軍に勝ったって」

 普段アニメキャラの服を着てニヤニヤしているくせに影で総合格闘技の試合に出て一人もくもくと指にテーピングを張る先輩……

 ――蠱惑的、す、素敵ぃ~。

 私はそんな蠱惑的な先輩を見ながら「にしても今日の弁当うまかったな」と一人ごちるのであった。

 映画『渇き。』に出てくる小松菜奈さんはとにかく蠱惑的です。

 

『渇き。』2014年 公開 原作は『果てしない渇き。』ミステリアスサスペンスです。

『神様のボート』~事実には簡単に行きつくが、真実にはなかなか到達しえない~

※知的です。

 私は男と2人でラブホテルに行ったことがある。事実そうなのだが、真実はそこから想像されるものとは少し違う。

 あるとき、友達(男女)4人で飲んでいた。宿泊予定のホテルに手違いで泊まれなくなったこと、その日は入試か何かで他のホテルが全て埋まっていたことが原因で、ラブホテルしか空いていなかった。そこで男ペアと女の子ペアに分かれてホテルに入った。だから「私は男と2人でラブホテルの部屋に入ったことがある」。これが真実だ。でもまだ続きがある。

 男と2人でくつろいでいると、従業員から電話があった。男と2人で泊まらないでください。一緒に来た女性2人とペアになってください、という。同様の電話が女の子の部屋にも来たらしい。同性愛者だったらどうするんだこの時代遅れめ。という文句はさておき、やっと見つけたホテルを追い出されたくはない。女の子はしぶしぶ、私はわくわくして部屋を変わった。

 だから結果として、僕は付き合っていない女の子とラブホテルに泊まったことがある。将来的に彼女ができたとして「付き合ってもない女の子とラブホテル泊まったことがある?」と聞かれたら、事実としてはYESだ。彼女の質問のニュアンスは別として。もちろんその女の子とは何もなかった。キングサイズのベッドの端と端で寝た。紳士ぶるので。

 翌朝、ホテルを出て4人で歩く。前を女の子2人、後ろを男2人で歩いていた。多分気づいていないと思うのだが、女の子の人に知られたくないこそこそ話はほぼ相手に聞こえている。もう1つの部屋に泊まった女の子の声が聞こえる。

「ねぇ、昨日の夜どうだった?」

「ぐっすり寝てたよ」

「えー、たかしくんは何もしてこなかったの? すごいね」

 私は隣を歩く男を見つめる。じゃあお前は何かしたってのか。たかしくん「は」何も……と言ったぞ。お前らにはおみだらがあったのか? 紳士面している場合じゃなかった。

 すました顔をしながら歩く男を見るが、表情からは何もわからない。

 その男が女の子と2人でホテルに泊まったのは事実。だがそこから先の「真実」はわからない。

 だから小説『神様のボート』の真実はわからない。あの女性がある人と会ったのは事実。しかし「それがどんな形か」という真実はわからない。

 事実には簡単に行きつくが、真実にはなかなか到達しえない。

ーーおみだらはあったのだろうか?  私は男からきた年賀状を読み返しながら不毛なヒント探しをする。

 

『神様のボート』江國香織/著 2013年 ドラマ化

『とにかくうちに帰ります』~合コンの作法~

 合コンには作法がある、と3回目で気づいた。私は過去4回、合コンに行ったことがある。一度目は25歳の時、あとの3回は26歳の時でそれ以来行っていない。単純に自分には向いていないと気づいたからだ。とにかくその3回目の合コンで、私は「合コンの作法」に気づいてしまった。それは「最初に真ん中の席に座ったら時点でそく試合終了」ということだ。

 過去2回では“違和感”でしかなかった。どうして皆は真ん中の席に座りたがらないのだろう。特に男は端っこに座りたがる。職場の先輩に連れられていた私は何も考えず真ん中に座る。そしてなぜだか会話に加われない。先輩とは仲が良かったし、女の子もやさしい。なのにいつもの4割くらいしか会話に入れない。

 3回目で確信する。話し上手な男が必ず両端に座っているのだ。私が行った合コンは割と人数が多いらしかった(9人くらい)。両サイドに話し上手がいると、真ん中の人間はどちらの会話に加わっていいのかわからない。しかも、騒がしい店内では端っこの声が聞き取りにくい。たまに話を振ってもらっても「#※%&がさぁー、*?$&だよなー」としか聞こえないので薄く微笑むしかできない。

 何とか体だけどちらかに向けて楽しむふりをするが全然楽しくない。私は右の会話にも左の会話にも参加しきれず、ひたすら薄く微笑んでいた。おかげで目の前にあったポスター「カニ料理日本一 大収穫祭」の文字はゲシュタルト崩壊するほど読み込んだ。

 どんな物事も情報収集が大切だ。情報(知識)を持っている人間はやはり強い。先輩には悪いがここは戦場。負けたままでは終われない。

 4回目、最後の合コンで私は隅っこに座った。話し上手な先輩が真ん中に座る。満を持して臨んだが、何故だか会話に入れない。そこでようやく思い知る。単純に私のコミュニケーション能力不足なのだと。甲斐甲斐しく空いた皿を下げながら何とか役割を見つけ粛々とまっとうする。そして空いたグラスを見つめて一人つぶやく。「とにかくうちに帰ります」。

 小説『とにかくうちに帰ります』を書いた津村記久子さんは主に仕事関係の小説を書いている。短編集の本作の第一話も『職場の作法』だ。どんでん返しよりも、機微を大切にするので、とてもリアルだ。

 ちなみに、そのお喋り上手な男たちが実際にモテたのかというと、それはまた別の話。合コンは奥が深い。

 

『とにかくうちに帰ります』津村記久子/著

『花が咲く頃いた君と』〜女子に嫌われるタブー〜

 めずらしく女の子に誘われて食事に出掛けていた。女の子はとても楽しそうだ。まだ付き合ってはいない。しかし私は長年の経験から、このあと部屋にお呼ばれすることになると確信していた。そんなときこそ注意が必要だ。どこにタブーがあるかわからないのだから。

 タバコのポイ捨てをしない、店員に横柄な態度を取らないという、よくヤホーの記事にある「女の子に嫌われるタブー」的な、読むまでもない“あたりまえのこと”ではない。もっとごくごく個人的なタブーだ。

 たとえば昔、後輩である女の子のアパート(1K)に皆で遊びに行った時のこと。座る場所がなかった私は何気なくベットに腰掛けた。それが後輩のタブーだった。彼女にとって、布団は清い体(シャワーを浴びてパジャマに着替えた後)でしか触れてはいけないものだった。それがたとえ彼女自身であっても。

 あるいはこれまた昔、話の途中でたまたま店内に女の子の好きなBGMが流れていたときのこと。女の子が「あっ、これ好き」みたいな顔をしたのでちゃんと10秒待って「それでさ、」と話かけたら「ちゃんと聴かせて」と1曲まるまる聴かされたことがある。10秒の気遣いは彼女にとってさして意味のないものだったようだ。

 恐ろしすぎるぜ、個人的なタブー。私は妄想を巡らす。

 ーー「ところでたかしくんのそのメガネって度は入ってるの?」

 目の前の女の子が聞いてきた。考え事をしていたせいで何を話していたか覚えていないが、なにやらヤバイ感じがする。

実はその女の子がメガネ好きと聞いてメガネをかけてきていた。だがオシャレメガネを持っていない私は寝る前にかけている普通の度が入ったメガネだ。どうする?  お呼ばれがかかっている。ここはもう賭けだ。

「うん、視力悪いから度が入ってるよ」

 女の子の顔が輝く。

「よかった。わたしただのファッションメガネかけてる人ってどうしても苦手なんだ」

 あっぶな。これが彼女のタブーだったのか。ピンチを切り抜けチャンスがくる。

「ごちそうさま。ごはん美味しかったね。えっと、たかしくんこのあと予定ある?」

 お呼ばれがくる。いつの間にかそんなに時間が経っていたのか。私は彼女のドリアに視線を落とす。ドリアが半分以上残っている。

 あっダメだ、これ俺のタブーだ。そう、私はさも当然のようにご飯を残す人がダメなのだ。「ごめん残しちゃった」というたった一言さえあればいいのだけれど。

 私はよこしまな考えを無理やり押さえ付け、絞り出すように「ごめん」と言った。ああ、お呼ばれが。

タブーはどこに潜んでいるかわからない。そういう意味では小説『花が咲く頃いた君と』はタブーでいっぱいだ。気まずいことが言い合える仲でも、本当のタブーは中々言えないものだけど、そこをこそ突いてくる。痺れる毒なのにきちんと甘い。そしてとにかく題名が素敵。さようならお呼ばれ。

 

『花が咲く頃いた君と』豊島ミホ/著

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『東京タワー』~東京という名の小宇宙(コスモ)~

「そういえばこの間○○くん東京にきたよ」

 上京して8年になるMが電話口で言ってきた。東京には2度だけ行ったことがあるが、どうしても叶えられなかった夢がある。それは「東京タワー」を見ることだ。

「東京タワー」を題材にした小説は腐るほどある。今は2つしか思い浮かばないがとにかく山程ある。私は本に東京タワーが登場するたびに一人夢想していた。どうしてもスカイツリーを見る前に東京タワーが見たい。

 何年も前から私の夢を知っているMが言う。

「いや、でも東京に来たらスカイツリーを見ない方が難しいよ」

「それはわかる。でも、過去に2度東京に行ったときなぜか東京タワーを見れなかったから、スカイツリーを避けることだって不可能じゃないはずでしょ」

「……残念だけど、東京に来てスカイツリーより先に東京タワーを見るのは不可能だよ」

 そうなのか? 私の夢は潰えてしまうのか。

 と、Mの電話口からかすかに女の子の声がした。Mが一緒に暮らしている女の子が一部始終を聞いていてアドバイスをくれたようだ。Mが代弁する。

スカイツリーを見なくてすむ方法が1つだけあるよ。それはスカイツリーに登ってしまうことだ」

 ――愕然とした。恐ろしい街だぜ東京。見たくないものから遠ざかるには、逆にそれ自体に触れていなければならないなんて。

 私は「とてもいいことを言ったぞ」的な声で今のセリフを言ったが、Mはそれには触れてこなかった。やはり東京という名の小宇宙(コスモ)は恐ろしい。

 リリー・フランキーの小説『東京タワー』に出てくる「リリー少年がオトンに放り投げられるシーン」みたく、東京という街から放り投げられた気がした。

 普段は教訓めいたものを絶対に書かないようにしている私だが、今回ばかりは違う。

 この話の教訓はこうだ。「~という名の小宇宙(コスモ)」と書けば、全ての物事はダサくなる。

 

『東京タワー』江國香織/著 2005年 映画化

『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン』リリー・フランキー/著 2007年 映画化