三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『ボッコちゃん』〜1001回やりゃあ、文句あるか、ですよね~

 筋トレには2種類ある。いい筋トレと悪い筋トレだ。

“そこそこ”の筋肉をつけて女の子にモテるため、私は日々、五体を鍛えている。

 いい筋トレは回数ではなく質だ。正しいフォームで腕立てをすると、10回でも十分きつい。たまに「俺、腕立て100回したわ」という男がいるが、あれはあんまり効果がないのです(女の子たちもうちょっとだけついてきてね)。

 ただ、質の高い筋トレは地味で疲れる。100回くらい連続する筋トレは“やった感じ”が出るから気持ちがいい。ただの自慰行為のようなものだとしても。

 日々の筋トレに飽きた私は、自分が気持ちよくなるためだけに、ある日回数をこなすことにした。その数、腕立て伏せ777回。時間をかけて実際にこなし、大満足する。効果は薄いが気持ちがいい。

 にまにましながらテレビをつけると、近頃話題の破天荒なディレクターが無人島で魚をとってた。なんかしらんが不眠不休で小屋を作り魚を取りまくっている。

「限界なんてこんなものじゃない」

 彼の勇姿になぜか勝手に感化された私は決めた。腕立て伏せ1001回しよう。そうしてその日のうちに1001回やりおえた。とんだオナニー野郎である。

 それから、女の子とデートに出かけた。

 喫茶店で女の子に会うやいなや、A子ちゃんに私は言った。

私「今日、腕立て伏せ1001回したよ」

A「1日で?」

私「一日で」

A「……」

私「1001回やりゃあ、文句あるか、だよね」

A「……キモっ」

どうやらオナニーをやりすぎた私は、世間とのギャップをはかり間違えてしまったようだ。ショートショートを人生で1001篇書いた星信一の名言、「1001篇書きゃあ、文句あるか、ですよね」というセリフを引用してみても、私の気持ち悪さは隠しきれなかったようだ。当然である。

 私の腕立て伏せ自慢はさておき、あんな良質のショートショートを1001篇も書いた星信一はやはり化け物だ。

――翌日、目が覚めた私は、全く筋肉痛になっていないことに気づく。お遊びのような回数だけの筋トレの効果は、やはりとっても薄いようである。

 

『ボッコちゃん』星信一/著

 

『あのころ』〜ボタン狩り〜

 女の子に第二ボタンをねだられるのが夢だった。中学生の時は叶わなかったが、高校の卒業式であっけなくかなった。

 たかしくん第二ボタンちょうだい、とクラスメイトの女の子に言われたのだ。隣には付添みたいな女の子もいる。

 私は「べ、べつにいいけど」みたいな顔をしながらボタンをブチっと取り、女の子にあげた。

 すると、付添みたいな女の子が僕を見て、

「ねぇ、第1ボタンちょうだい」と言ってきた。私はまたしても「べつにいいけど」みたいな顔をしてーーそれがかっこいいと思っていたのだーー女の子にボタンをあげた。高校はブレザーだったので、ボタンは二つしかない。私はボタンのなくなった制服を見て大変に満足した。

 さてその後である。なんとその女の子2人組が、別の男にもボタンをねだり始めたのである。彼女たちは私のボタンが欲しかったわけではない。何故だか理由はわからないけれど、男の第二ボタンを収集する“第二ボタンハンター”だったのだ。

 その証拠に、彼女たちは私を含めて計3人の男達から第二ボタンを奪っていた。くそぅ。

 ややあって、意気消沈した私が教室を出ると、ある女の子がもじもじしていた。

 「あの、たかしくん。もじもじ。もしよかったら第二ボタンくれないかな、おずおず」

彼女は、高校二年生のときのバレンタインに、私にチョコをくれた女の子であった。

 その真剣な眼差しから、彼女が本気で私の第二ボタンを欲しがっていることがわかった。やっぴー。

 が、ときすでに遅し。私は2個しかないボタンを第二ボタンハンターに奪われた後であった。とんだバカタレである。

 さくらももこの『あのころ』を読んでいたら、ふとそんなことを思い出した。

 もしあのときボタンを渡せていたら‥‥‥、いや、当時のたかし少年には、第二ボタン狩りから逃れる術はなかったのだろうな。

 

『あのころ』さくらももこ/著

『よろず春夏冬中』〜デカフェ問題〜

 スタバによく通っていた頃、私は必ずディカフェ(コーヒーからカフェインを抜いたもの)をたのんでいた。

 あるとき、私がいつものようにディカフェを頼むと、アルバイトを始めたばかりの少年が「デカフェですね、かしこまりました」と言ってきた。デカフェ

 後日、スタバの黒エプロンの女の子と喫茶店で話しているときに、

「カフェイン抜いたやつって『ディカフェ』なの? それとも『デカフェ』なの?」と聞いてみた。

 黒エプロンの女の子は「普通の店ではデカフェだけど、スタバではディカフェで統一してるんだよ。今度、注意しなくっちゃ」といっていた。家に帰りスタバのメニューをみると、たしかにディカフェと書いてある。「デカフェ」ではなく「ディカフェ」である。

 昨日、本当に久しぶりに近所のスタバに行ってみた。早朝のレジには、まだ10代に見える男の店員(スタバで働いていることは好きだけど、スタバ自体にはさして興味がなさそうに見える少年)が一人だけいた。

私は「ディカフェをください」と彼にいう。

彼は「デカフェですね」と答える。

デカフェ?  と思いながらも、今のスタバはデカフェになったのかもしれない、という謎の可能性で自分を納得させる。 

 10分後、男の子がコーヒーを持ってきて(ディカフェは出来上がるまで10分ほどかかる)、

 「デカフェになります」

 と言ってきた。

 それはデカフェではないし、君がどんなに「デカフェになります」と宣言しても、君はデカフェにはなれないんだよ、と皮肉が頭をよぎったとき、何故だか私は自分がひどく歳をとったように感じた。

 数年前に、『よろず春夏冬中(あきないちゅう)』というという小説のことを、『よろずしゅんかしゅうとう』と読んでいる女の子に出会ったときは、かわいいと思ったのにな。

 そんなことを思いながら飲むディカフェは、なんだかあんまり美味しくなかった。私の心の中が不味かったからだろうと思う←上手い。

 

『よろず春夏冬中長野まゆみ/著