三十路の図書委員、本棚から覗くモテ世界

30歳、独身、彼女なし。ややイケメン。この「やや」がやっかいだ。昨今、読書男子がモテるというけれど、クラスではドッチボールのうまい男子がモテていた。そんなこと小学生時代からわかってた。

『あられもない祈り』〜2歳の壁〜

 図書館に入庁した初日、女性社員に「たかしさんていくつなの」と聞かれた。私が26歳ですと答えると、その人は大層びっくりして、「え! 24歳くらいかと思った」と言った。

 28の時、新入社員の女の子に年齢を聞かれ答えたら、「え! 若い。26歳くらいかと思ってました」と言われた。なにか違和感を覚えた。

 その1年後、新しく入ってきた女の子に年齢を聞かれた。29歳ですと答えたら、女の子は「信じられない」という顔をして、「まったく、見えませんね。27歳くらいかと思いました」と言われた。なんかもやっとした。

 そして昨日、最近知り合った女の子と食事をしていたときに年齢を聞かれた。私は三十路だと答えた。

 女の子は「この世の終わりだわ」という驚愕の表情を浮かべ、「すっごく若いですね! 28歳かと思いました!」と瞳孔を見開いて言った。

 きっと彼女たちは褒め言葉として言ってくれたのだろうし、若くみられることは悪い気はしない。ただ、

 彼女たちの驚きようと、「2歳」というのが繋がらない。

 29歳の人が24歳くらいに見えてびっくり、ならわかる。でもたったの「2歳」って、言葉を失うほどの衝撃を与えるものなのだろうか?

 でも事実そうだったのだからしょうがない。そして、若く見られたからといってその若い女の子たちと恋仲になれたわけではないのもしょうがない。

 まぁとにかく私は、“まだ過去形で語られる前の美貌を留めている”らしい。と、さらっと小説『あられもない祈り』で響いた言葉を引用する。美しい言葉がたくさん出てくるから、ストーリーを抜きにしてもおすすめだ。恋愛ものだ。

 それと、今回のブログは「私はまだ若々しさを保ってますよ」というアピールを、いやらしさを出さずに書いただけのものだ。

 若い=モテる、の思考回路じゃあモテないのにな。でも祈っちゃうんだよな。あられもなく。

 

『あられもない祈り』島本理生/著

 

 

『へろへろくん』~恋するはな毛~

『へろへろくん』というギャグ漫画で、一度だけへろへろくんの鼻に住むはなげくんが主人公になった回がある。

 これは深夜、へろへろくんが寝静まったあと、彼の顔面で繰り広げられた話だ。

 あるところに、はなげくんというはなげの青年がいた。彼はまつげちゃんに恋をして、ある日、友人達(はなげども)の後押しを受け、まつげちゃんに告白しに行った。

 けれども、勇気を出してまつげちゃんに会いに行ったはなげくんを待っていたのは、イケメンまつげ男たちの罵声だった。

「うげー、はなげがきた!」

「きもいっ、近寄るな」

「おまえはなげのくせによくまつげちゃんに告白できるな」

「身の程をしれ」

 はなげくんは罵声を浴びせられ、まつげちゃんは困ったようにうつむくばかり。

 はなげくんが打ちのめされて、鼻の中に帰ろうとした時、 天井から大量のほこりが降ってきた。

「うわ~ほこりだ、きたねー!」

 なぜか高貴な設定のまつげ住民たちは、汚いものがとにかく嫌いなのだ。 天罰のように、まつげの住民たちに埃がかかる。 しかし、なぜかまつげちゃんにだけはかからなかった。

 目をつむって耐えていたまつげちゃんが不思議に思い、目を開けると、はなげくんがまつげちゃんに覆いかぶさり、埃を全部受け止めていた。

「はなげくんっ!」

 まつげちゃんが叫ぶと、はなげくんはにっこり笑い、けれども少しだけさみしそうにこう言った。

「おれ、はなげだから。きたねぇの、慣れてるから」

 イケメンまつげ達、そしてまつげちゃんは心を打たれ、 二人はめでたく結ばれた。

――当時小学生だった私は、この話を読んで号泣した。それはもう号泣した。

 てなことを20代になって女の子に話したら、爆笑されたことがある。 まぁ、私も誰かにこの話で泣いたことを言われたら爆笑しするだろうし、しないといけないだろう。そこで一緒になって「いい話だねぇ」と泣かれてもそんなやつ僕は信用できない。

 ただね、こうも思った。いや、正確にはこの話が引き金となって自分の中の根源的な感情を呼び起こした。

 この話を聞いて、何も感じずにただ爆笑することができる人は、さぞ幸福だろうと。

 例えば誰かが思いのたけを書いたノートを読んで、なんだ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ思えたら、きっと幸福だろうと。

 そういう人間になろうと何度か努力もしたし、実際ある程度うまくいったこともある。しかし、今思い返してみると、“あくまでも自分にとって”そういう日々には思い出がないのだ。

 やっぱり思い出や糧になっているのは、あほみたいにあがいていた日々なのだった。

 黒字で書いた部分は、中村文則の小説に出てきたもののまんま引用だ。これを書きたいがために、なんか落ち込んでいる風になってしまったぞ。でも、いい話みたいにもなれたから、きっと私の評価は少し上がるはずだ。

 ただ、これが中村文則のどの小説かだけが思い出せない。中村文則の小説はすべて読んだからなー。と、さらっと読書家アピールをしてみる。

 

『へろへろくん』コミックボンボン(現在は休刊)に連載されていたギャグ漫画

『チョコレート ドーナツ』~「あんたに興味はないよ」という女子の顔色~

「あの子の気持ちを、お前が勝手に決めるなよっ!」

 それは私がかなり長いこと好きだった女の子に対して、

「あの反応じゃ無理かもなー」とうじうじこぼした時につれからもらった言葉である。

 その言葉のおかげで勇気出して告白し、ついには付き合い今に至る。

  なんてことはもちろんなく、てんで相手にもされないまま、

 「ほらーやっぱ無理だったじゃん!!」とプンプンしたものだが、

 確かに相手の気持ちを勝手に決めるな、というのは一理あるように思う。相手がなにを思っているのかなんて、相手にしかわからないからだ。 そんなことをふと思い出したのにはもちろん理由がある。

 最近、会社の同僚とその女友達の何人かでお食事に出かけた。まぁ合コンのようなものだ。というか合コンだ。約4年ぶりの。

 緊張からくる吐き気をこらえながらコピペされた笑顔で立ち振る舞う私は、案の定真ん中の席になってしまい、左の会話にも右の会話にも上手く入れないまま、

“ななめ右上のポスターの文字を黙読しながら薄く微笑む”というかなり不毛な作業に貴重な時間を浪費していた。こんなことならリュックに入っている本が読みたいよー。

すると、業を煮やしたやさしい保母さんが話しかけてくれた。

 せっかく話しかけてくれたんだ、彼女が楽しいと思ってもらえるように頑張ろう。

 そう思い、これまで以上に薄く微笑み続けた。 

 しかし、彼女のやさしい質問にたいして「あー」とか「うー」しか言えない私にさすがの彼女もがっかりした表情を浮かべ別の会話に加わっていった。

 もしも相手がどう思っていのかが色として顔に出るとしたら、彼女の顔はどす黒い紫(あんたに興味はないよ)色になっていたことだろう。

と、書いては見たものの、まぁそれなりに楽しくはあった飲み会だったのだけれど、「あたし合コンでときめいたことないんだよねー」というとある女の子のけん制の一言をくらった私たちは誰のアドレスも聞かないまま解散した(ガチでアドレスを聞いた先輩は普通に断られた)

それで終わるはずだった。

 だが数日前、先輩から思わぬ電話がかかってきた。

 先輩「おはよう、この前の飲み会でいた保母さん覚えてる?」

 私「(あぁ、あの紫色の顔の女の子か)おぼえてますよ、どうしたんすか?」

 先輩「いや、実はあの子お前ともう一回ご飯食べに行きたいらしいよ、近々メールするって」

・・・・・・!?

 いや、確かにあのとき彼女の顔はどす黒い紫(あんたに興味ないよ)色になっていたはず。

 あぁ、そうか。

 これを「相手の気持ちをお前が決めんな」になるんだな。と一人納得した朝でした。

 もしも相手の好意が色として本当に顔に出るのだとしたら、どんな色としてでるのだろうか。

 と、思ったのが10日前。

 だが未だ連絡なし。

 ああ、なるほど、新手の嫌がらせね。と妙に納得する午前9時。部屋には映画『チョコレート ドーナツ』でアラン・カミングが歌う『I Shall Be Released』が流れている。

 あの映画に出てくる少年みたく、私はハッピーエンドが大好きだ、だが未だに連絡の来ない携帯を見る私の心は、チョコレートドーナッツのようにぽっかり穴が開いたようなのだった。

『I Shall Be Released』は本当に色んな人がカバーしたのを聞いてきたけれど、僕はアラン・カミングのカバーが一番好きなんだよな、と、バーのマスターの言葉をさも自分が考えたかのようにまんまパクる。

 

『チョコレート ドーナツ』2012年のアメリカ映画。1970年代にゲイのカップルが育児放棄された自閉症の少年を育てようとする話。

『I Sall Be Released』ボブ・ディラン作詞作曲